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今回のは「○○したら神様に好かれて、運がよくなって、幸せに!」という話ではありません。
「神様に好かれて現世利益もらって幸せになりたい」という人間らしい感情を否定はしませんが、神様の好き嫌いで人生が大きく振れる事はない。って周囲を見てると思えるので、それについてちょっと書きます。
まず神様に好かれるから、運が良くて幸せにという考え方自体が「人間の思考から出たもの」って気がしますね。ものすごく都合のいい考え方だなと思います。
また、頑張ってるのに次から次へと試練があって大変という場合、よく言われるのは「神様は見込んだ人間に試練を与える」「神は越えられる試練しか与えない」ってのもありますね。
これもかなり都合がいいというか、人が前提にある乱暴な考え方と思えます。
もちろんこれを『宗教』がいうのはいいんですよ。
宗教には、どうしようもない世の中の矛盾に心が折れそうな人を助けるツールという役割があるので。
あ、でも妄信して「社会的にアウト」なことをやったらいけません。ここらへんの加減は難しいトコですがw
悪人や悪事は神様に嫌われて、それをした人が必ず不幸になるのあれば話は簡単なのですが、何もしなくとも好かれる人もいれば、何もなくとも嫌われる人もいるのは真実で現実です。
でなければ、社会的に「アレってどうなんだ」って企業が売り上げを伸ばしていたりという例が、こんなに世にある理由の説明がつきません。
また神様の好き嫌いを考えた時に、日本の神様は八百万というほど沢山なわけです。
・神様に好かれるというが、それはどの神様をさしてのことか?
・神様たちの満場一致で「好き」と言われなければ幸せになれないのか?
・そうでないなら何柱の方たちが「好き」と思われれば人は幸せになれるのか?
・その神様にも役割というか仕事があるが、人一人の幸運をすべてその方にカバーしてもらうのか?
……疑問はいくらでもあり、考えるほどに矛盾が出てくるのが分かると思います。
外国の一神教を信じてる人にとって、神はGODただお一方なので「神様の好き嫌いが幸せに直結している」という考えはあまり矛盾のないものですが、多神教の神道ではそぐわないと言えます。
みわが思うに、神様の好き嫌いというのはフェイスブックの「いいねボタン」であったり、ツイッターの「お気に入り」のようなものじゃないかと?
人生を左右まではしないけど、それによって「一人じゃないんだ」と思えたり「やって(書いて)よかった」と少し嬉しくなる。
そういう些細なのが神様の好きの恩恵じゃないでしょうか?
それは時と場合によって、人生を良い方向に変えてしまうような、そういうモノですが。
そうするには「それを受けた人間の意識や行動がどう変わるか」に掛かっているわけで、やはり神様たちがというよりも自己啓発や哲学的な考えの範疇かと思えます。
神様が~と、思わねばやっていけない程の不幸があった合は『宗教』だったり『神様』に一瞬くらいは頼ってもいいと思いますが、大抵は人間の世界で人間の道理で回っているシステムの中の出来事ですので、落ち着いてきたら自己啓発や哲学的思考や現実的な対処法でどうにかするのが人として正しいような気がします。
っていうか、その方がどう考えても幸せに円滑に社会の一員として生きてける気がするんですが?
例えが稚拙で大げさでゴメンなさいですが。
ナイフで指を切った時に「神様! なぜこんな試練を! 次回は御加護を」とか「ナイフで切ったのは私が神様に好かれてないからだ」と思う人と、「ナイフの持ち方が悪かったんだな、次回から気をつけよう」とか「こんなに切れるのか、じゃあそういうつもりで使おう」とか思う人。
どっちが建設的で、経験を糧にして次に成功する確率が高いでしょうって事です。
みわも「いいことは神様のおかげ。悪いことは自分が悪いから」って言ってますが、これは神様らぶだからというより、その方が明日の自分の為になるからデス。
みわのせいじゃない大きな不運も時にはありますが、考えてしかるべきところに働きかけることで、次は今回よりも小さい不運ですむかもしれない可能性が生まれるわけで、そうであるなら思考は決して無駄になりません。
神様たちというか、自分より大きなすごい存在に畏敬の念を持つのは正しいし、自分を過大評価・過信しないためにも有効ですが、限度もかんがえようー? と考える葦であるところのみわは思ったりなのデシタ。
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神社仏閣の大抵のとこにあって、参拝したら大多数の人が引くおみくじ。
私も今のように神様らぶになる前から、おみくじのある神社やお寺に行ったら引いてました。
大吉などいいの(と今は思ってませんが、昔の感覚だと)が出たら、なんとなく嬉しくて、凶とか悪いのが出たら嫌な気分になりつつも「占いだしね」って無視をする。
そんな、縁日にくっついてくるなんかのイベントの一種というか、駄菓子屋で当たりくじ付きのお菓子を買うのと同じような感覚で引いてました。
もちろん昔と違って、今はきちんと神様と話すことのできる貴重な機会だと思って引かせてもらってますw
なので、神様にかわいがられてたり、おみくじなんかの装置を使わずとも交信できる人はいいのですが、零感の私には無理なので、おみくじがあって良かったなぁ~とか、発明してくれた人に感謝だよな~とか思っています。
元三大師、ありがとうございますw
ちなみに『元三大師堂』で引かせていただいた事があるのですが、おみくじを担当してるお坊様がちょうど不在で「やめますか?」と留守を守るお坊さんに聞かれたという事がありました。
確かに参拝ではなく「おみくじの元祖を体験したい!」て気持ち の み で山に登ったので、元三大師と話せるなら「そんなふまじめな態度とか、なめてんのか」という事なんだろうなとは思ったのですが、これを逃すと死ぬまでにできるかどうか分からないということで「えー、よく分からないし~?」って馬鹿のふりして無理やり頼んできました ←
担当のお坊様が不在の場合は、住所氏名等と一緒に判断してほしい内容を紙に書いて、お賽銭と一緒に納め、後日電話と封書で結果が送られてくる。という手順になります。
……本当なら御祈祷があってのおみくじ引きという、超イベント感バリのモノなのですが、ソレがないので山まで時間かけて登ったわりに、結局まわりくどいだけの普通のおみくじといった感じになり、おみくじの内容も、私が上記のような態度だったためか「引きたかったんだろ? よかったな引けて」というような感じで「御神託じゃなくて占いだなこれ」って思えるようなぼんやりした感じで……。
いつかまた山に登るチャンスがあったら、直接、元三大師に非礼を詫びたいと思います。汗
そういうわけで、私のような考えで行くのは駄目ですが(誰もそんなことせんわw)聞きたいことがあって、せっかくならおみくじの元祖を体験したいという方は、おみくじを引けるお坊様が居らっしゃる時間を狙っていくといいと思います。
……話がずれました ← またか
それで、おみくじの読み方(見方)ですが、私は現在こういう感じで見ています。
「私に関わる事を聞いたら、吉凶だけでなく全体で判断」で
「神様の機嫌を尋ねる場合は、吉凶で判断」ですね。
神社仏閣によっては「吉凶」が載ってない所もありますが、大抵はこれでw
もちろんコレが絶対ではなく、聞いたのが「健康に関すること」であればその項目に、こうしたほうがいいよ? とかこれはこうだよって事が書いてある確率が高いです。
私の話ですが、家人の調子が悪いので病院に出してから、元々の予定だった買物に出掛け、途中にある神社によって「家人が~って状態で……」と参拝し「どんな状態でしょう? 問題なかったら買物に行きたいんですけど……(酷いw」と聞いたところ『末吉:病気の項「軽くない用心」』だったので、結局買物をやめて帰宅した事がありました。
結果としてそのまま緊急入院→専門病院に移って手術と、それなりに大ごとになった(強制的に病院に行かせた段階で、家人の状態があまりに異常だったので、多分入院だろうとは思っていた)のですが、おみくじを引いた時点である程度の覚悟が決まったというか。
おかげで「入院することになったので着替えを持ってきて」と電話でいわれた時も、慌てたりしなくて確かりました。ありがとうございます。神様らぶv
あとは、聞いた事と関係のない項目が気になる場合は、神様仏様もですが、自分の無意識からの注意(自分の事は自分が一番わかってるものですw)という事もあるので、気に留めておいた方がいいかもです。
それにしても、面白いですよねおみくじw
大吉なのに和歌とか項目がきつい事のオンパレードだったり。
凶なのに、なんかコレすごく慰められてないか? って感じだったり。
吉凶の項目は「どゆこと?」って感じでも、和歌や漢詩は「あ~、あ~、ですよね~w」って感じだったり。
ただの確率で引きあてた紙の一枚なのに、神様とお話してる気になれるというか……。
最後に「神様の機嫌を尋ねる場合は、吉凶で判断」と上で言ってますが、神様と話せないのにわかるのかと言われそうなのでこれも書いておきますね。
独自解釈なので間違ってる可能性のが高いのですが ← うん、そうだよ電波だよ?
これは神様の気分が良いか否かなので、単純に「機嫌がいい=大吉」「機嫌が悪い=凶」って判断してます。
吉あたりだと「普通」って感じでしょうかw
いい時はいいのですが、神様の機嫌が悪いのに「はぁ? おれの気持ちが知りたいから気分を表した和歌を引かせろ? ……あんま機嫌よくないだけど? 俺のこと好きだっていう割に、手間をかけさせてるとかそういうことを考えられないのかよ」とますます気分を害されそうなので、神様の手間を省くという意味でそう判断をしています。
そうですね。
大好きな神様が少しでも気分よくいてくれたらいいと、いつでも神様本位の気持ちでw ← 結局
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『神様たちへ御挨拶』で、初めての神社ではお願いごとはしない方がいい、かも? って書きましたが、今日はその続きです。
神様はそれぞれに仕事があって役割分担をしてあの世の世界を運営管理されてますが、それとは別に生まれてから死ぬまで、困った時に相談をする町内会の年長者のような存在の神様たちがいます。
『産土神様』とか『氏神様』とか呼ばれている神様です。
『産土神様・氏神様』というのは、私の生まれた場所や住んでいる所を管理し、住民が暮しやすいようにと動いて(担当仕事という意味)くれる神様の仕事上の呼び名です。
例えば、『きもの屋さん』と呼ばれている所は全国で何軒もあるけど、近所に限定すればその名称がさすのは誰の事かすぐに分かる、でも本名は別にあるというような感じデスかね?
もちろんその神様の正式名称でしか呼ばれない総本社などでは、きちんと本来の仕事をされていますので、総本社であり、地域の『産土神様・氏神様』を兼ねている場合は、兼業農家のように二足のわらじで、大変忙しく働かれてる感じですね。ホント頭が下がります(てか、かっこいい! 好きです←
『産土神様・氏神様』はまさに近所のご意見番、よろず困りごと相談を受け付けてくれてる方たちなので、自分の事で困ってることがあって、意見が欲しい・助けて欲しいと思った時はまずここにお参りします。
なぜここかといえば、私はこういう理由があるからと考えてます。
1、生まれた時のお宮参り等で、一番初めにご縁をいただくのが『産土神様・氏神様』なため
2、心と体の成長期にそこの神様たちの領域で生活するわけだから、性格とか家庭環境等、その人のベースになることを他の地域の神様たちよりも一番詳しいから
3、大きくなってから崇敬する神様と違い、物ごころつかない状態でご縁をいただくためか嫌われる事はほぼないため(調子にのったら駄目だけど。汗
最近では、お宮参りは『産土神様・氏神様』たちでなく、親の信じる崇敬社や有名な神社でということが多いですが、その子の成長する場所や土地を管理されてる神様がこちらなので、その子に関する事を見たり聞いたりして前情報を沢山持っているのは、やっぱり一番近くの『産土神様・氏神様』たちかと思います。
田舎で村社会のシステムが生きていれば『産土神様・氏神様』たちが分からない事はほとんどないと思いますが、都会や新興住宅地では神社がたくさんあって分からないという場合もあります。
そういう場合は他に手立てもないので、県の担当神社庁に聞くのも一つの手です。
神社庁は名の通り神社関係といっても市役所のようなところで、他にも仕事がたくさんありますので、聞く時は礼儀正しく手短に簡潔に、もしも愛想が無くともくじけずに質問してください。
※対応うんぬんは私がそういう応対をされたということではなく一般論の話です。
個別の神社レベルでは数回電話したことがありますが、神職の方はいつもこちらが恐縮するほどの丁寧さで答えてくださいますノデ。念のため
また『産土神様・氏神様』たちは他の神様たちへの取り次ぎも引き受けてくださいます。
・遠くの神社に参拝に行きたいがちょうど生理の穢れの時期なので初めに謝っておきたい
・遠方に旅行に行き、その土地の神様にも参拝したいので受け入れてくれるように口利きしてもらう
……とかデスね。
あとはこちらのお願いごとや頼みごとに『産土神様・氏神様』たちが「あっちの○○神様の方がこの件には詳しいから、あっちに頼んどくかな」というような時もあるっぽい感じです。
例えば、住んでるアパートの大家さんに「頑張ってるんだけど職が無くてさー」て愚痴ったら「あんた、ここはどう?」って面接先を紹介してくれるようなw
もちろんそこから受かるかどうかは私たちの努力に掛かってるわけなので、願いが叶わなかったからと『産土神様・氏神様』たちに文句を言ってはいけませんw
……ここまで書いといてアレですが、一応注意も。
困った時の神頼みが日ごろの行いによって成功率が変わってくるのと同じで、いざって時だけ『産土神様・氏神様』たちに頼っても駄目デス。
日頃から『私の産土神様・氏神様たちは、○○様で、いつも見守ってくださってありがたいな』と崇敬の念を持ったり、神社の行事があれば最低限の集金には応じておく事は基本です。
だって神社が無い=神様の降臨場所が無いって事なので。最低限の維持管理に人手や労力は惜しまないようにしましょう(手が出せないときはお金を出す……というのが大人な対応ですw
あと日に夕にといわず隙あらば感謝の念を送っておく。のもいいですね。
仕事でやってる事でも感謝されたら頑張る力がわきます。
人も神様もそこは同じなので、1に感謝! 2に感謝! 3・4が無くて5に感謝! くらいしておくと、覚えもめでたく応対も変わる気がするので、ゼヒ!
次回は神様のお言葉『おみくじ』についてです。
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※前に書いた『神社に行こう!』の補足版になります※
初めての神社はもとより、いつもお世話になってる産土神さまや崇敬社も「知ってもらってるからいいや」ではなく、参拝するときは名前と住所をいいましょう!
神社に参拝するのは人のお家に訪問するのと同じようなものですから、礼儀だけは忘れないようにしたいものです。
あ、もちろん声に出さなくても、心の中や頭の中でOKですよ。
例えば、私は初めての神社では……。
「はじめまして。○○神社の大神様」
↑
正確に名前が分かっている場合はそちらを、私は間違えると失礼になるので大抵の場合はこう言ってます。
「○○県△△市~(以下番地まで)から来ました。○○家の者です」
↑
家の代表で立たせてもらってるので私はこうですが、自分の名前でもいいと思います。
「今回、御縁があってこの場に寄らせていただきました」
「○○の大神様に益々の幸せと栄がありますようにお祈り申し上げます。
健やかにお元気でいらっしゃいますよう、願っております」
……って私はこんな感じで言ってます。
初めての神社は神様へも初対面な事が多いので、顔見せというか、挨拶するだけに留めた方が個人的にはいいかと思います。
そこが有名な神社で、あるお願いに特化した神様をおまつりした神社なら、ファーストインプレッションでお願いも……あり……かなぁ……(自信なし
これについては考えてることがあるので、次回書きます。今回はサクッとスルーで ←
次に産土神様、崇敬会に入ってる神社、頻繁に寄らせてもらってる神社……等の縁があるところのお参りです。
「おはようございます。○○神社の大神様」
↑
参拝時間が午前中なので基本コレですw
時々、前回のお参りから時間が経ってるなって時は「御無沙汰しております」と変えたりしてます。
「○○県△△市~(以下番地まで)から来ました。○○家の者です」
「本日はこの近くに所用がありまして、○○の大神様のご機嫌伺いに寄らせていただきました」
「○○の大神様に益々の幸せと栄がありますようにお祈り申し上げます。
健やかにお元気でいらっしゃいますよう、願っております」
↑
初めての神社と違って、知った神社なので全体的に親しみを込めたあいさつになります。
「さて、本日は~について○○の大神様にご意見を伺えればと思っているのですが……(内容をかいつまんで、しかし過不足なく伝える)……この後おみくじを引かせていただきますので、気をつければいい事という点がありましたらご指導よろしくお願いします」
↑
初めての神社と違って「親しくさせていただいてる年長者」に会いに行く・語りかける感じの参拝なので、お参りは少し長めかな?
拝殿に至る前に今日の参拝内容を整理して、長くなるかと思った時は、お賽銭を入れたら他の参拝者の邪魔にならない(賽銭箱からちょっと外れた)所でお祈りさせてもらってます。
聞くこと(お願い)が特に無い場合は、神様のご機嫌をおみくじで教えてもらうといいと思います。
機嫌がいいと大吉だったり、機嫌がよくないと末吉とか凶とかでますw
こういうご機嫌伺いでおみくじをひくと、和歌や吉凶の内容が全然心に響いたりしなくて、不思議だなと思います(自分でご機嫌伺いしておいてソレかw
で、ご機嫌伺い後は神社の端っこ(拝殿が見えてればOK)から「そうなんですか、大変ですね」とか「神様が元気でいてくださって私も嬉しいです」とか伝えて終わりです。
これの効能は……次回行った時になんとなくですが神域の雰囲気が優しくなったり、おみくじの言葉が子供に言うような優しい感じになったりですかねw ← 気のせい電波受信中
神様たちが、私たちが参拝することを苦痛だと思わずに、楽しいなって思ってくれれば、私たちにもその幸せな気分って伝染するので。
『情けは人(神様たち)のためならず参拝(勝手に命名←)』
皆さんもしてみませんかw
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参拝数な少ないけど、神様に対する愛だけは誰にも負けないつもり。
訪問した神社の事を体験を織り交ぜ紹介をするコーナー「神社へGO」です! ← 前口上
一回目は『大神神社(おおみわじんじゃ)』
漢字がそう読めなくても、パソコンで一発変換できなくとも、大神神社! ← 単語登録オススメします。
ご祭神は「大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)様」で御神体は『三輪山』……というのが基本データ。
神社紹介ならもっとメジャーな神社からじゃないの? と言われそうですが、私が蛇好きだからで、他意はないです(キッパリ ←
ここで体験した事については(心霊体験ではなく気のせいレベル)別に書くとして、いい神社ですよ。お薦めです!
近くにおいしい三輪そうめんの店もありますし(そんな理由?
最寄りの三輪駅からは二つ目の鳥居から横入りする感じで行くことになりますが(大鳥居は神社から逆方向にいかないとなので。汗)そこからでも参道は長くて「大きい神社だな」って思えます。
ちなみに、お山に登るのは『三輪山登拝』といい。
HPにも詳しくありますが、登山口にある摂社の狭井神社に申し込んで登らせてもらいます。
登った人の感想は「とっても良かった」としか聞かないので、神様を身近に感じたい人で体力に自信がある方は、入山の決まりを守り「お参りするんだ」という気持ちで登ってください。
……私ですか?
自宅から午前中参拝をしようとしたら、お山の上に着くまでに時間切れ起こすので、一回も登ったことはありませんw
それに勾配が急で(山だからね!)時間も結構かかるとの事なので、体調万全で奈良に前日入りして、登った日もそのまま奈良泊できれば、登りたいかなと思いますが、今のところそういう機会はおとずれてません ←
その代わりといったらなんですが、崇敬会には入ってます。
こちらは遠方の信者や一般の方でOK(年10万以上納めないと崇敬会に入れない神社もあるため)なので、信仰の心は山に登ることで無く、お祭りや行事の時にきちんと寄進等をすることで伝わってると思っています。
なので、体力に自信が無いとか、遠方に住んでるけど大物主神様が好きだー! という方には崇敬会に入るのはいいと思います ← まわしもの呼ばわりで結構w
……ここまで書いてなんですが、みわはそれでも八百万の神様たちは全員平等に好きだといっちゃいます。
崇敬会に入ってる神様と、他の入ってない神様より好きだと伝える回数が少なかったりはしません。
神棚にお参りする時なんかは「八百万の大神様たちのお力がますます輝きますように~」とかお参りしてますし。
……って言い訳(笑)書いてて話がそれた ←
それでこちらの崇敬会の特徴ですが。
何といっても「ポイントカード」があることでしょうね。
カードの説明では『参拝+祈祷で一つ捺印。十二個集まると招福の記念品をいただけます』とありますが、うーんこの、普段買い物をしてる店とノリが同じな感じ……ゆるい……好きだ!
近く住みだったら月一参りで一年で集めたり、最低でも年一で干支一周で集められたのですが、色々あって普通の参拝も今は難しく……。汗
誰か見せてくれないものか。そしたら全力でうらやましがるのに! ← ウザい
御祈祷は一緒に祈祷を受ける方が多ければHPにある通り「祈祷殿」で終わるのですが、人数が少ない場合は渡り廊下を通って拝殿での玉ぐし(というか幣?)奉納というのもあるようです。
私は「入会報告祭」は集団で、それから後に御祈祷いただいた時に二人だけで、拝殿での幣奉納をさせていただきました。
神様の近くだわーいw って浮かれたかったのですが、拝殿なので後ろには一般の参拝者が居らっしゃるわけで、なんか粗相でもしようもんなら「ぷっ(嘲笑」されるとか考えて超緊張しました。汗
え、あんなのが信者? とか思われたら神様の恥だー! って……考えすぎですね、そうですね。
また話がずれた。汗
それでどういう条件で拝殿の玉ぐし奉納になるかは分からないので、気になる方は神職の方に聞かれるといいかと思います。
私は気にならなかったというか「神様に大好きだって声が大きく届きそうでちょっとお得、カモ?」くらいは考えましたが、別にお願いがあるわけでもなし……好きだって伝えられれば別に私が何処の誰かなんて伝わらなくてもいいと考えているので、聞こうという頭が無かったのデス。汗
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