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もともと、みわは「自殺は人間の最後の自由」派であり「ただし、あなたが死ぬと困る生き物がいたり、悲しむ人がいるなら自殺はダメ絶対」派なのですが、タイトルについて一理あるなと思ったので書いてみます。
いつも通り独断と偏見にまみれてますが、それでもよければドゾ!
最初になんでそんなことを唐突に言い出したのか? からですが、すっぱり書いちゃうと、先月みわの最後の直系が死んで天涯孤独になったからです。
あ、だからといって、死にそうなほど辛いとか、泣き暮らすとかみわなので皆無デスがw
直系が死亡前後の諸々から、葬儀後の引き継ぎやら手続きやら、みわの替わりはいないので泣く暇はちょいちょしかありませんでしたし。
悲しさに関しても、直系ということで生じやすい「愛情の幻想」がみわにはなかったので、故人に対しての悲しさでは無く「コレから向き合わなきゃイケナイことに対して、正真正銘一人きりで立ち向かわなきゃならない自分に対しての悲しさ」くらいという直系を亡くして天涯孤独系女子(爆笑)になった割には冷めてるというか、冷血というありさまで。
親戚・知人・友人のくれる定型の「お力落としのないように」とか「さみしくなるね、元気出して」とかの励ましが「ブタに真珠」「猫に小判な」状態なのデス ←
……とまあ、最悪な感じにひとでなし感MAXのみわですので、ここは順当にさみしさも感じないかな? とか思ったのですが、ありましたね! 寂しさ! というか、あるべき所にあるものがナイ喪失感? が近いかな?
初めは、余命宣告からほぼ三ヶ月で死んだので、いなくなった実感がいまいちナイのかな?
とか思ったのですが、ふと「あ、これが人の感性でいうところの寂しさってやつか!」と気がついたわけです。
……まあでも、気がついたきっかけが。
1、神棚封印でお参りできない(いつもの神様ありがとう! も穢れが行くとダメなので自粛中)で、神社参拝なんて「穢れてるのに何考えてんだおとといきやがれ!」と万が一にも行こうものなら塩撒かれる状態で、よるべもなくて、すっげ辛い! ←
2、「いつもと違って神様に話しかけられないのはさみしい」となり ←
3、直系にもう気を遣わなくてもよくなったのに、配慮している自分に気がついた。とこでの気づきなので、お涙ちょうだい話には絶対ならない自信がありますケドね! ←
安定のどこからどこまでも、徹頭徹尾「かみ☆らぶ」のみわデスw
……と、話がずれましたが、そんなわけで思ったわけです。
ここまで人の情が薄いみわですら、直系が死ねば喪失感を感じるということは、普通の感性を持った人なら悲しさも相まってとんでもない状態になるんじゃないか?
親も自分の親を亡くしてこういう悲しさを味わってる、その上で子供も亡くしたら同じような悲しさとか喪失感をもう一回味わうことになるわけで……。
うん、たぶん耐えるとか無理だし、なら「親より先に死んだら親不孝」はアリじゃないかなと。
これの語源は確か「親に心配をかける」とか「親を大切にしない」なので、みわの考え方でも当たらずしも遠からずな気がします。
もちろん、コレは「親より先に死ぬ(自殺限定)」であって、それ以外の自分で死を選ばなかった場合は除く! ですけど! そこは間違えたらイケマセン
あ、あと。毒親とか、子供のためにならない親の場合もやっぱり除くで!
そういう親は「孝行」される価値がナイので当然デスw
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