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古神道を愛するみわとしましては、人間の力で及びもつかない全部は「神様」のおかげなので「神様はいつも人のためになる事をする」とか言われると思わず二度見しちゃいますネ!
ないわー。
神様がいつも人間の為にって、生物の頂点と勘違い恥ずかしい!
黒歴史製造中ですね。わかります!
って感じです。
あとコレ!
「神様が助けてくれた」ってのも恥ずかしい!
自分を戒める意味で「神様が助けてくれた(だから上手くいった。いい意味で人のせい)」というならイイんだけど。
ダメなのは「神様が助けてくれた(神様はいつも私を見てくれて、私に目をかけてくれてる)」ってのね。
特別感っていうか選民思想っていうか俺様tueeeeeeee! のどれでもいいんだけど、まあそういう感じの。
コレが悪化すると「私は神様に選ばれた」とか「神様が私にだけ……」あげく「私には他の凡人にはない特別な力が!」とか「救世主だ!」とか言い出しそうでねー。
もう一刻も早く檻の中に隔離して! 超危険だから! エマージェンシーだから! とか思いマス。
てゆーか、神仏そんなに暇じゃないからネ(爆笑)
みわではないナニか(人でも出来事でも可)のために、たまたま神様がなにかしたら、それが蝶の羽ばたき的なアレで、なんとみわにも幸運が!
……ってのが幸運の現実的見方だと思うのですけど、どうでしょう?
まあ、それでも「なにかのついでにみわの問題もかたずけちゃうとか……神か、あ、神だった(真顔」とか「神様って超素敵ー! 超感謝!」とかにはなるんですけどね。
だって片手間だろうが何だろうが、みわが恩恵受けたのはホントだし、そこは感謝してしかるべきじゃないかと思うわけデス、はい
ある日、家でだらだらしていたら宗教の人(キリスト系?)がきた。
チャイムで起こされたので、眠くてしかたないみわ(なので脳が死んでて、うっかり玄関開けて応対するというミステイク ←)
定型の「神様を信じていますか……」というおばさまに「信じてますが」と当たり前に返すみわ。
その言葉に「まあ、お若いのにしっかりなされて……」と感心するおばさま。
続けておばさまは「最近の人は神様を信じない人が……」と現代の宗教の地位の低さを嘆こうと……したかったンじゃないカナ? 多分? わかんないケド ←
おばさまの言葉を遮るように「は? (八百万の)神様は素晴らしい存在じゃないですか!?」と何当たり前の事言ってんの? 馬鹿なの? 死ぬの? と 真 顔 で返すみわ。
その勢いに押されたように片足が少し下がるおばさま。
それを見て宗教を布教する為に訪問してるのに勢いで負けてどうすんノ頭の片隅で思うみわ。
でもこれはチャンス! みすみす逃すホドみわは甘くありまセン!
たたみかけるように「なので、私は私の神様の教えに従い日々を生活しています! なのでそちらもそちらの信じる神様の教えに従い頑張ってくださいネ ☆ミ」と話は終わったよ? さあ帰れ? と炭酸飲料のCMのようなさわやかさで言い切るみわ ←
「え、はい、ありがとうございます」とおばさま。
「はい! では、そゆことで!」にこやかに玄関を閉め鍵をかけるみわ。
今まで玄関開けずに「間に合ってます」とかで帰ってもらってたケド、真顔で神様の素晴らしさを語るのも有効なんだなと学んだ次第。
……ちょーっとダケ、狂信者と思われた可能性も感じたケド……神様(八百万はYES! 一神教はNO!)好きなのは同じなんだから、ひくことなくナイ? と勝負に勝ってナニか大切なモノを失った気がしてみたり。
もともと、みわは「自殺は人間の最後の自由」派であり「ただし、あなたが死ぬと困る生き物がいたり、悲しむ人がいるなら自殺はダメ絶対」派なのですが、タイトルについて一理あるなと思ったので書いてみます。
いつも通り独断と偏見にまみれてますが、それでもよければドゾ!
最初になんでそんなことを唐突に言い出したのか? からですが、すっぱり書いちゃうと、先月みわの最後の直系が死んで天涯孤独になったからです。
あ、だからといって、死にそうなほど辛いとか、泣き暮らすとかみわなので皆無デスがw
直系が死亡前後の諸々から、葬儀後の引き継ぎやら手続きやら、みわの替わりはいないので泣く暇はちょいちょしかありませんでしたし。
悲しさに関しても、直系ということで生じやすい「愛情の幻想」がみわにはなかったので、故人に対しての悲しさでは無く「コレから向き合わなきゃイケナイことに対して、正真正銘一人きりで立ち向かわなきゃならない自分に対しての悲しさ」くらいという直系を亡くして天涯孤独系女子(爆笑)になった割には冷めてるというか、冷血というありさまで。
親戚・知人・友人のくれる定型の「お力落としのないように」とか「さみしくなるね、元気出して」とかの励ましが「ブタに真珠」「猫に小判な」状態なのデス ←
……とまあ、最悪な感じにひとでなし感MAXのみわですので、ここは順当にさみしさも感じないかな? とか思ったのですが、ありましたね! 寂しさ! というか、あるべき所にあるものがナイ喪失感? が近いかな?
初めは、余命宣告からほぼ三ヶ月で死んだので、いなくなった実感がいまいちナイのかな?
とか思ったのですが、ふと「あ、これが人の感性でいうところの寂しさってやつか!」と気がついたわけです。
……まあでも、気がついたきっかけが。
1、神棚封印でお参りできない(いつもの神様ありがとう! も穢れが行くとダメなので自粛中)で、神社参拝なんて「穢れてるのに何考えてんだおとといきやがれ!」と万が一にも行こうものなら塩撒かれる状態で、よるべもなくて、すっげ辛い! ←
2、「いつもと違って神様に話しかけられないのはさみしい」となり ←
3、直系にもう気を遣わなくてもよくなったのに、配慮している自分に気がついた。とこでの気づきなので、お涙ちょうだい話には絶対ならない自信がありますケドね! ←
安定のどこからどこまでも、徹頭徹尾「かみ☆らぶ」のみわデスw
……と、話がずれましたが、そんなわけで思ったわけです。
ここまで人の情が薄いみわですら、直系が死ねば喪失感を感じるということは、普通の感性を持った人なら悲しさも相まってとんでもない状態になるんじゃないか?
親も自分の親を亡くしてこういう悲しさを味わってる、その上で子供も亡くしたら同じような悲しさとか喪失感をもう一回味わうことになるわけで……。
うん、たぶん耐えるとか無理だし、なら「親より先に死んだら親不孝」はアリじゃないかなと。
これの語源は確か「親に心配をかける」とか「親を大切にしない」なので、みわの考え方でも当たらずしも遠からずな気がします。
もちろん、コレは「親より先に死ぬ(自殺限定)」であって、それ以外の自分で死を選ばなかった場合は除く! ですけど! そこは間違えたらイケマセン
あ、あと。毒親とか、子供のためにならない親の場合もやっぱり除くで!
そういう親は「孝行」される価値がナイので当然デスw
よくドラマなんかで、喧嘩したまま別れてその後で相手が死んじゃって「本気じゃ無かった」とか「もう謝れない」とか後悔するシーンがあるけど、みわにいわせるとアレですよ。
馬鹿じゃ無いの?
言葉ややったことは一回こっきりで戻らないんですけど?
言ったとき、やったときは「本気」だったんでショ?
それが相手がいなくなって取り返しがつかなくなったからって、恐くなって取り繕うとか愚の骨頂デスわw
いう前(やる前)にやめればいいんじゃん? それを自分の感情の気持ちよさ優先で無視しといて、何いい子ぶってんのw
……ん? なんですか?
『みわは悪口はダメって言いたいのか?』ですか?
んなわけないじゃないですかw
むっちゃ、全方向に喧嘩売ってるんがみわですよ? ←
みわが言いたいのは「言ったことに責任持て」とか「やったらいいわけすんな」ですよ。
例えば……喧嘩別れした相手に謝れないとかなら。
でもそれを選んだのは自分、後悔があるなら次に同じ事をしないための踏み台にすればいいんデス。
相手を殴ってしまったなら。次回は殴る前に一回止まって考えればいい。
……あ、もちろん一回目の失敗に伴う、罪や罰を受けてる人はそれを拒んではイケません。
殺人犯はずーっと殺人犯ですよw
後ろ指とか噂に苦しんで生きればいい。耐えられなかったら死ねばいい。
生き死には個人に許された最後の権利です。
それを「犯罪者にも人権を」とか馬鹿も休み休み言えっていうか、寝言は寝て言えですよ。
一番初めに社会の規範から「自分勝手」に外れておいて、今更、人と同じ対応を求めるのはずうずうしいデスよ。へそが茶を沸かしますw
これは正義の殺人でも同じです。
相手がどんな悪人でも「殺人は殺人」そこに同情の余地があったとしても、それでそれに伴う責任の範囲ブレさせてたら、法律の意味ないし、他の大多数のなんの関係も無い人に迷惑ですよ。
なので、言ったことやったことに責任は持つ。後から後悔しそうなら言わないやらないを徹底しなさいよ。
というみわの主張でしたw
先日「考え方としては間違ってないけどなんとなく違和感」で神様へのお礼は感謝だけで十分という霊能者に対して「それってどーなん!?」とツッコミかましたわけデスが。
んじゃ、みわ的にその辺どー考えてるのかなっ!? というのを書こうと思います。
そこまで書いての批判だしねw
まず基本的なトコから。
神仏への感謝は「何が無くともするもの」なので、何かしてもらったと考えるなら「+α」は必要じゃないかな?
なんのために「お礼参り」があると思ってるんデスかねー?
なので、自宅なら神棚や仏壇にいつもよりちょい高い目のお供えをあげる。
または安いのを大量トカ?
神社仏閣へ行くなら「お賽銭を多めに」
いつもの倍とか?
みわは通常時は100円、祭事やお礼のトキは500円くらいにしてマス。
奮発するなら「ご祈祷でお礼を伝えたり」も良いと思います。
一生モンのお礼と思うなら、お世話になった神社仏閣に「寄進(orお布施)」とかもいいカモしんない。
もちろん身の丈にあった感謝でいいのですが(借金してまでとかはno)重要なのは「神仏に自分の幸せを伝え、自分の幸せをお裾分けする」というコトです。
あ、今「神様に自分の幸せのお裾分けって、不敬じゃない?」とか受信したけど、お世話になったあの人にお中元・お歳暮、季節のご挨拶……人間関係だったら、コレ、当たり前にしてると思うのね?
神仏も同じだとみわは思いマス!
神仏だって(特に人間っぽい日本の神様あたりは特にw)言葉だけより物にして示せば「えー、こんなに喜んでくれたの~? マジでーw ええ……いいのに(でもうれしい」ってなるモン! 絶対!
コレが過剰になると、いつでもどこでも感謝、すきあらば感謝、こじつけても感謝。
訪ねた宗教施設だけではなく、日本そのものに感謝という意味で地産地消の推奨・推進。
日本が無くなったら神様が困る(多分)ので、日本のためになる行動(選挙含む)を進んで行う……とかになりマスw
↑
八百万の神様スキー、神様☆親衛隊を自称するみわはもちろんコレ
んー、あとは……道徳的なコトをいうなら、周囲の人に感謝を還元。とかもカナ?
それを自分にもたらしてくれた人は当たり前として(そこを怠ったら人としてアカンでしょw)それ以外はこの幸せを分けてもいいと思える人(誰彼区別無くは尊いけど、かみ☆らぶ的にはこっち推奨w)への幸せの還元・分配。
こういうのは回り回って神仏のためになるので(すべての感謝は神仏に通じているのデス!)こういうスピ以外のコトもおろそかにしないように! ← と、自分に言い聞かせてみたりしてw