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『自分勝手』で人間は「自分勝手に幸せになって、自分勝手に不幸になる」と書きましたが、これ他人に何かをする時も同じだとみわは考えています。
『こうしてあげたから満足だろう』とか『こうしなかったから恨まれるかも』とはあくまでも「個人の感想」であってそれ以上でも以下でもないのに、それを間違える人が多い多いw
人間関係の大部分の不幸は、この認識の差を埋めずにほっとくから起きてる気がしますネ。
「相手を思ってしたこと」=「相手がしてほしかった」事で無いのは、極端な例ですがストーカー事件の加害者と被害者の認識の差を頭に描いてもらえれば分かりやすいかな?
こちらに自由意思があるように相手にも自由意思があるわけで、お互いの「いい」はそう簡単に重ならないものだと思えば、相手の反応が自分の望まないものであっても「しかたない」と思えるものではないでしょうか。
助けたいと思う人間がいくら手を伸ばしても、相手が助かりたくないと思えば救えない。
ある出来事を「幸福」と思うか「不幸」と思うかはその人次第。
……的なw
あ、これ、もちろんですが教育とかしつけは含んでませんよ!
社会を構成していく上で「最低限の知識」や「最低限のマナーやタブー」の共通認識がないと、共同体が崩壊しますからネw
そういう教育やしつけではない部分での、自分と他人の認識のズレを許容したらいいのにって事です。
こちらの考えが自分のエゴから出ているものだと認識すれば、他人のエゴもムカつくかもしれませんが(笑)そういうものだと思えるもの。
自分も相手も同じく「自分勝手」に言ったり行ったり判断したりしてると思えば……ムカつくことも無い……いや、そこまでは無理かw(と己を振り返る ←
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