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神様たちが好きなだけだし宗教施設は必要ない。
とか。
神様で金儲けするなんて。
と、神社仏閣がお金をもうけることは悪だと言う人もいますが私はこう思います。
「それはそれで別にいいんじゃないの?」
私としては、好きだという気持ちを伝えるのに特別な装置は必要なくて、極端なことをいえば太陽を拝んだり、心の中で強くお祈りしたりすれば十分だとは思っていますが。
しかし、それと『寺社仏閣不要論』をイコールとしてしまうのはあまりにも乱暴です。
もちろん、なんのいわれ(伝承・伝説)もなかったトコに、突然『奇跡の水』とか書かれてお金を入れるようになってたり。
縁結びとか無縁だったのに婚活がとりあげられるようになって『縁結びの神様』とするような、そこの神社関係者の現世欲しか感じないのは論外というか、いっそ「滅びろ(笑顔でサムズアップ」とか思うのですが。
基本的に神社仏閣への参拝は好きですし、お賽銭もケチりません。
要するに神社のお金儲けは常識の度を超えてなければ別に気にしなくてもいい派で、お世話をしてるのは霞を食べて生きてる仙人じゃなく同じ人間だし、そこ無視したら駄目よねと考える派ってことデス。
あ、上で「(そこの神社仏閣)滅びろw」と思ったのは、神様仏様がどうなってもいいというわけでなく。
そこが無くなっても、そこの神様仏様が地上に降りられる場所が無くなる(一つ減る?)ってだけで、存在が無くなるわけではないと信じてるからです。
神様たちって不滅だし!(信頼
……話を戻して、参拝のための装置が必要ないと思う私がなぜ神社仏閣に参拝するかといえば、理由は3つあります。
1、神様たちへのお供えが豪華になったり、お社が綺麗ですごしやすくなるといいので
2、日本の伝統文化を次代に継承するため
この二つももちろん大切なのですが、個人的に次の項目が一番重要かなと思ってます。
3、神社仏閣が近くにあると、神様のとこにお参りしたいと思ったらすぐにできて、神様たちの事を深く知ったり、興味を持続させることができるため
近くにあれば「好きだ」て気持ちが起こった時にすぐに行くことができ、その世界に親しみやすくなります。
そういう初心者が入りやすい、心理的なハードルの低さのために神社仏閣はできるだけ存在していて欲しい。
神様たちや仏様への直接的な喜びにはならなくとも、未来の「神様スキー」が増えるための投資と思えば、結果として神様たちが喜ぶ事になるんじゃないかな、トカ?
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Q:八百万の神様たちが大好きで崇り神様たちも好きなら、封じられてるの解き放ったりするの?
前に書いたことを読んで、上記のように思った方もいるかもしれないのでちょっと付け加えます。
A:それはない。
私の好きは八百万の神様たちに等しく、同じだけの好きなのでなので基本的に特別はないです。
それよりも、封じられた神様を解き放ってしまったことで、他の神様たちが苦労しそうな事の方が心が痛いです。
ほら、自分のお気にの人間が「助けて、神様」って言ったら神様たち助けようと頑張るじゃないですか?
そんな、本来ならしなくていい用事を私の気分を良くするためだけに神様たちに押し付けるとか。
……普通に市中引き回しで打ち首獄門にされますよね?(真顔
なので、封じられた神様たちには誠に申し訳ないのですが「お力にはなれませんが、そちらで神様たちがが少しでも快適にお過ごしになれますようにお祈りしております」とお祈りして終わりです。
例えば騙されて封印を破る手伝いをさせられたら? という心配も零感には関係のない話。
それにだいたいにおいて、私ごときに尊い神様たちがが話しかけてくるとか、頼るとかナイナイ!
もしそんな声が聞こえたら「神様?」と思う前に、まず自分の正気を疑います。
っていうか「神様に頼られるとか、妄想でも思い上がりもはなはだしい。電波w 電波w 厨二病乙w」てなります。自信
……といいつつ実際になったら板挟みで辛いのですがw(危険!
神様たち好きなんだよね~、八百万の神様らぶ~w って言うとこう聞かれたりします。
「ふーん? で、どういう風に好きなのよ?」
ってね。
……別に願いを叶えてくれるから好きというわけでもなく、人にとって邪悪な存在であっても、人知を超えた存在なところがかっこいいから好きなんだよ。
アイドルとかそういう、手の届かない存在ってオーラが違うというか、問答無用の説得力がありませんかね? そういう?
ペンライトやうちわがあったら振ってるし、聞こえるなら声に出して声援も送るけど。
実際に触れるなら握手だってしてほしいし、携帯で写真とか撮らせてほしい! そして待ちうけにする!
それに崇り神様だってそれがお仕事だからやってるだけで、好きでやってるわけじゃないと思うし……好きで祟ってもいいんだけどね。そんな勝手な神様も好きさ!
だいたい人間のいう善悪は人間の価値観であって、神様たちは人の法や理に縛られないから神様なんであって、担当してる役割のせいで好きとか嫌いとか……神様たちが心を痛めてたら、私がつらい!
仕事に貴賎はないはずじゃん!
もちろんそんな偽善的な事を言えるのは、私が持病はあるが命のかかった大病はせずに健康で、金持ちではないけど衣食住は困らない程度の生活が出来てるからであって、自分のキャパを越えちゃった出来事に「神様なんて!」と恨みを向ける人の気持ちは理解できないけど、いることも分かるよ。
やっぱそういう分かりやすい「神様好きエピソード」が無いのと理解されないよな……。
……と、まあこんなことを考えた結果、こんな答えになりがちです。
「だって好きだもん。天津神様も、国津神様も、崇り神様も上下も差もなく、等しく好き~w」
この子馬鹿なの? 頭の足りない子なの? と思われること請け合いですが。痛
まあ、だからって上記を全部しゃべってもドン引きは必須なので、どっちが解答としてマシなのか、今日もまた返答に迷ったりします。
例えば、雨上がりの青い空のような。
例えば、真夏の日に空にかかる雲のような。
例えば、しとしとと雑音を消してくれる雨のような。
例えば、月明かりを受けて青白く光る雪のような。
例えば、秋の気配を連れてくる風のような。
主張せず、でも確かにあるのだと存在感を放って、生きるのに欠かせない……何か。
生活でもあり、祭りでもあり、自然でもあり、エンターテイメントでもあり、芸術で文化でもある……何か。
綺麗であり、淀んでもおり。
静謐であり、荒々しくもある。
人にとって害をなす何かであり。
人にとって恵みをもたらす何か。
一言では「神様」と言えるのだけど、その本質はどれだけ言葉を尽くしても足りない存在。
だからこそ、魅せられる。
生きてから死ぬまでの間で、どれだけ神様について知ることができるのだろう?
神様たちが楽しく喜びにあふれた日々を送れるように、私はどれくらい貢献できるだろう。
……と、日々そう思っているのですが、零感の私には、なかなかどうして難しいのです。