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みわの干支は「いのしし」なので、人にいうと「猪突猛進で人の話を聞かないところがまんまだね」とよく言われるのですが ←
お守りとして干支モノを持つ時は逆にある「蛇」のモノを買います。
「逆さ干支」とか「裏干支」とか「向かい干支」といって、これもまた縁起物なのですが、知らない人多いみたいですね。
……なーんてw
「逆さ干支」とか「裏干支」とか「向かい干支」は本当にいわれてることなのですが、おバカで定評のあるみわですので、あたり前ですが知ってて買っていたわけではありません ←
とにかく蛇が好きで好きで好きで! 自分の干支ほっぽっといて(酷)蛇グッズ買ってたのが真相なのですよw
でも、蛇好きだというと「金運が上がるもんね」とか「干支ですか?」とか言われるのに、いいかげんうんざりしていたのも本音なので、都合のいい言い訳ができて良かったといえばそうカナ?
いちいち干支表を見るのが面倒な人のために。
子←→午
丑←→未
寅←→申
卯←→酉
辰←→戌
巳←→亥
……こんなふうになります。
たまには自分の干支の逆のモノを買ってみるのもいいかもしれませんねw
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よく『魂が穢れてる』とかいうフレーズを聞いたりしますが、あれって誰がどういう基準で判断してるんでしょうね?
殺人は人の世界の法律で犯罪ですが、それで魂が穢れてるかというと微妙な……だって、食うに困って一家心中とかの場合とか……幼子だけ残すのがいいかっていわれたら……ねぇ?
神様が「これは霊界的にこうでこうでこうだからダメなんだよ」とか教えてくれたら『そっか!』とは思いますが、でもそれが穢れの有り無しと直結してるかっていうと微妙。
イザナミ様が黄泉の国に行ってしまって、それを追っかけたイザナギ様がこっちに戻ってから穢れを禊ましたが、この穢れの概念だってイザナギ様がこっちの世界の存在だからそうなんであって、イザナミ様にとっては黄泉の国で暮らすためにはあの状態が普通とすれば『穢れ』とは何ぞや? となりますよね? ……なりません?
とにかく立場が変わったら見方も変わるわけで、そんなあやふやな状態での『穢れ』の定義は本当に難しいなぁと思ったり。
で、そんな判断をする人は一体どういう立場で何を判断基準に言ってんのかなって興味は尽きないわけです。
何十パターンとか何百パターンとか知って精査すれば、確固たるコレというものがあるのかもですが人の身というか寿命ではそれも難しそうですし(悩
いっそ神様が顕現して教えてくれたらとも思いますが……あ、駄目だ。
みわ的に目の前に突然神様が現れて『神デスw(キラッ』とかされたら、とりあえず精神科に行くわ、うん、間違いなく!(変な自信 ← 神様スキーの癖にこの反応
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神様のお告げというと『天使が降りて来て』とか『神の声が』とか、何かすごく特別な事のようなカンジですが、みわ的にはやっぱり日常の延長にある、ごく普通の出来事のような気がしています。
虫の知らせという言葉が日本には有りますが、感覚的にはコレが一番近いですか。
言葉で耳に届くわけではないけれど、身体とか心とかが『何か』を察知してざわつくというか? そういう感じ。
もっと些細なことであれば、本や雑誌の文章読んでいたら今一番気になっている事の答えがそこに書いてあった。とかもその類かと。
あとは何かの答えを聞いたり見たりする前に脳内に答えが閃く。ってのもそうカナ?
要するに一つの事についてずっと強く考えると、脳の中のそれ専用の回路が強化されて、関連する事柄を周囲の事象から掬い取りやすくなるってコトなんですケドw
神様はどこか遠くに存在するものではなく、自分の身の内にあっていつでも会話できるモノで、神社仏閣は『神様の存在を再確認する装置』である。って考えてるみわにはこれだけでも十分天啓! とか……改めて書くとなんておめでたい頭か私w(苦笑
あとあと! タルパとか人工精霊もこの範疇なのかな? だってツクモガミがアリな世の中なわけだしアリでいいと思うんだけど……それだと何かありがたみ薄れちゃいますかねw
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生霊はその名の通り、生きてる人の思いが形になって思いを向けたところに飛ぶ。って現象の事なんですが、これも因果応報と同じで『悪いこと』でしか語られないのはなんででしょうね?
『因果応報の謎』で良い側面と悪い側面と両方有るものじゃないか? と書きましたが、これも同じだと思うんですよね。
しかも強く思ったらそうなるとかじゃなくて、少しでも思ったらそうなるっていう説もあるみたいで、だったらなおさら善悪両面からの事象報告があってもしかるべきじゃ? と思うのですケドね。謎
みわの考えでは、生霊の燃料は『思い』なので、形をとって飛んで、飛んだ先で事象として認知されるほどの思いを「良い方」に向けられない、人間の感情の限界に起因する事かな? と推理(みわはだから性悪説イチオシですw)して納得してますが。なんか……でもむにゃむにゃ ← 納得いってないw
この世にはこれだけ沢山の人が居るんですもん。
恨みとかと同じように強く継続して、良いことを(相手の幸せとか)思える人もいるんじゃ? とか思ったりします。
あ! もしかして人についてる守護霊とか背後霊とか指導霊とかの何割かはそういう生霊なのかも!?
もしそうなら、生霊と守護霊の境界線はどこになるんでしょうね?
・相手やモノに好意を持っていたら? ← 単純な好き嫌い
・相手やモノに良い現象を与えられたら? ← 好きだからといって相手の+になるかはちょっと微妙w
前世の心残りや課題(カルマ)が後ろ(背後霊? 守護霊?)にいるという場合も有るみたいですし……難しくて面白い問題じゃないですかね? これって!?
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自分に悪いことが起こって、それを全部他人のせいのしてるアホ(なんか目につく事が増えましたねw 人のレベルが下がってるだけじゃなく情報が早く広く拡散するから今まで伏せられてたのが暴かれるようになったからってのもあるよねw)をニュースで見たからこういう事を思ったわけですが、反対もあるなそう言えばと思ったりしたわけです。
要するに、みわ的には『人は勝手に幸せになって、人は勝手に不幸になる』ものだと思ってると、そゆことデス……当たり前過ぎて呆れましたかそうですか……ですね(真顔
下手な説明ですが、例えば誰かが何かを言って、それを聞いた人が「それはいい意見だ」と参考になったと感謝する。とするじゃないですか?
確かに「受けた恩をきちんと心に刻む」というのは人として尊いし、道徳的にも人間性を高めるためにも重要なのですが、でもその感謝ってその意見を言った人 だ け に向けられるものなのかなって思うのです。
その意見に『耳を傾けよう』って思った自分の中のナニかにも、等しく有難うじゃないかな? とw
それを「身の内の神」と呼ぶか「良心」と呼ぶかは置いといて……みわ的にはモチロン神様押しなのですが ←
おっと話がずれた!
……だってですよ?
意見を言った人を信用しようとかいう気が無かったら「どんなまともなことでもスルー」で「耳を貸さない」わけですよ。
『自分はそんな事ない』とかいう人間は、ものすごく面の皮の厚い人かすごく無知な人だと思います。それくらい人の色眼鏡は外そうと思ってもそうそう外せるもんじゃないんです!(自戒をこめて ←
他人の働きかけは些細な後押しでしかなくて、結局は自分で、自分が、自分に、自分を。なのです(あと神様のおかげさまネ ← どこまでも押すw
なのでみわが思うのは、人は自分で幸・不幸を選んでるんだから、もし人に感謝されてもそれはおごらず。自分に何か起こっても決して人のせいにせず。というのが、生きてく上で肝要じゃないかなとか思ったりします(うむうむと重々しくうなずく
……まあ、それに当てはまらない事例もいっぱいあるのですけど。汗
それはこの世界にたった一人で生きなくてすんだ孤独への代償(にしては重いモノも多いのですが。汗)ということでひとつ。
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