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人間の善悪思考の考察

先日の事ですが、自転車で走っていたらトカゲに飛び出し自殺されました ←

命の大切さを学ぶために昆虫の命を無為に奪うような年齢はとっくに過ぎてるし、故意じゃないにしろ命を奪ったのは確かなので、死ぬのを見届け(尻尾と胴体の微妙な所を引いて殺しちゃったので)た後、コンビニでお清め用に清酒を買ってふりかけつつ冥福を祈ってきたのですが、その時に思ったんですよね。

大きさの差はあれど、つまりこれが人間の善悪の考え方なんだなって。
なんて思いあがった差別的思考なんだろうと。

自分に害(利害含む)がある命は『殺していい命』
自分に直接的に害が無い命に関しては『かわいそう』
命の重さは一緒だといいながら、この差は一体何なのか?

自転車で引き殺したトカゲに悪いと思い供養したのも、幼い頃に友人宅でトカゲが出たからとソレを殺した(逃がそうと思って失敗した)のも同じ私なのに、立ち位置が違うだけで天と地ほどの開きがある。
トカゲにしてみたら「なんで!? 不条理!」って思うに違いありません。

また、人間が殺すのは動物だけじゃありません、植物だって電極つけて反応を見たら「喜んだり」「逃げよう」と思ったりするというのは、科学の世界ではもはや常識です。
それから考えれば、分子(それよりもっと小さい粒子にだって)にだって人間が関知できないだけで、そういう好き嫌いがある可能性もあります。

だったらなぜ動物だけ『かわいそう』なんでしょうね?

結局のところ「○○を殺したら駄目」というのは感情論の域を越えず(感情が悪いという意味で無く)それが命に対する差別的思想なんだと気づかずに叫ぶ人間が問題で、そうであるならお花畑とかスイーツとか言われてもしょうがないとみわは思います(みわ含め)

あとは「種の保存のため」とかいうお題目をもありますが、この種が残っていい種であの種は残さなくてもいいと選別した段階で思いあがりで差別ですよ?
またその特権が人間にだけ与えられた権利なのか? という問題もあります。

それ分かってしてるんだ。というならいいですよ。
でもそれなら二度と感情から発した好き嫌いで、他人のすることに文句付けんなとは思いますが。

……とまあ、トカゲを引き殺した事で、これだけ哲学させてもらいました。

トカゲ(と過去にみわが殺した生物、含む害虫)には感謝とともに弔いの言葉を。ぜひとも来世は他に対して権力をふるえる立場に生まれる事が出来るように祈っています。
それによってみわが虐げられる立場になって言葉通り虫けらのように殺されても、それは仕方ない事だと思っているし、その覚悟はしています。

そうそう。ココまで書けば分かるかと思いますが、みわが神様たちの事を好きで愛してるというのは「神様になら殺されてもいいし、仕方ない(人の手にかかるのは違いますので生贄とかは拒否ですw」っていう思考も含んでですw ←

ちなみにみわは「害獣や害虫は殺すが命に敬意は払う。みわでも誰のしたことでも人以外をの命を奪った事に必要以上の情けは持たない。なぜならそれは欺瞞だから」と考えます。
冷たいですか? でもどんな命も平等に扱うのって本来冷酷で冷たいものですからねぇ。

あ、一応、言っときますが今回のブログは人殺し容認の主張とかではないですからね?
みんなで決めた「人の法」の上に生きてるのなら、それに従うのは善悪とは違いますが当たり前の義務です。

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2015/08/18 哲学る Comment(0)

結局、気合でしょ!

心霊モノ動画とか、そういう企画DVDで『お払いの道具』として、よくスタッフが持ってるのが以下のモノだと思います。

・数珠
・お塩(粗塩、無精製の塩)
・砂
・パワーストーン(水晶最強?)
・音(拍手、おりん、音叉+水晶、祝詞、お経)
・お香(含む線香)
・神棚に供えた水
・お酒

……とか?

でも「数珠を持っていたのに効かなくて」とか「お経を唱えたのに襲われた」とかもよく言われますよね?

これを「道具が見せかけで、実は払う力がなかった」とか「使い方が間違ってる」とか「状況に即した道具を使わなかったから」とかいうのは簡単ですが、かみ☆らぶでは別の考えを提案したいと思います。

要するに……道具は道具、結局使う人次第。ってコトです(キッパリ

プロならオーラや気(?)や祓いに合わせた道具が適切に選べて、最大限まで力を引き出したり足りないう分を他の物で補填したりして使うんでしょうが、素人にそれは無理!
素人がプロと同じ包丁を使っても、切れるだけで切り口がプロと同じにならないのと同じ事です。

十字架だってドラキュラに対して有効なのは、神を深く信仰している人が持っているから。というのが定説ですし。
要するに形だけ揃えて「これで平気」って道具はそうそう無いって事です。

あ、お守りやアミュレトもそうです。
持ってるからこれで大丈夫ではなく、道具を信じて心を強く持つのが重要です。
怖がりつつ持ってたら意味ナイですw

やっぱり重要なんは「起こった出来事に対して、毅然とした揺るぎない意思を持って当たれるかどうか」じゃないかなと。

「怖がったら寄ってくる」とか「本人に払う気持ちが無いと払えない」いうのはまさにこの事を指していると思います。

……まあ、暗示にかかりやすい(思い込みが強い・妄想力が半端ない)人間が、そういう道具が必要なトコに安易に行くなって事ですが ← これが一番重要w

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2015/08/18 哲学る Comment(0)

神様と仏様の関係性

TV見てたら、夏のホラー企画で怖い話してて「神様と仏様は一緒に祀ったら喧嘩するので駄目」と言ってたんですよ。

「いや、そりゃ当たり前やろ」とは思ったんですが、そういえば日本に『神仏習合』とか『神社合祀』とかあったな~って。

それが今まで続いてるとこもあるわけで……そこのあたりはどうなってんだろ? と思って今日のブログですヨw

・仏様は基本的に怒らないから、キレるならやっぱ神様かな? 一方的にブチギレモードとか? TVも「観音様の顔が割れて~」とか言ってたし……もう、神様ったら短気なんだから……そんなトコも好きなんだけどw ←

・そういえば、神社とお寺を一緒に~とか日本でもしてた or してるよな……アレどうなってんだ!? もしかして見えないとこで神様と仏様の縄張り争いが……ヤバイ萌える ←

・web検索しても「一緒にしたら喧嘩し出したので別に祀るように戻して欲しい(意訳」とか言ってる人は少ないのか……あ、でもやばすぎて外に出せないレベルとか? 不謹慎だけど興味そそられるわ ←

……てなことをつらつら考えてました ← 罰あたり

誰かそのあたりの事情に詳しい人ブログとかやってないんだろうか?
または図書館で本探すか……って棚分類はどこになるんだこれ!?

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2015/08/16 哲学る Comment(0)

お守り沢山w

『通信機器各種……お守りとかお札』でお守りを複数持つことについてはあとでと書いたので、今日はその事についてです。

似たようなことを以前にも別名義で書いてるのですが、もう検索アーカイブくらいでしか存在してないハズなので、もっかい書いてもいいかなっとw ← 書かない選択肢はない!

ではさっそく、いつもの電波話いってみよー!

よく『お守りを複数持つのはいかん! なぜなら神様同士が喧嘩をするから』と言われたりします。
これに対して『そんな神様が心狭いわけない。間違いだ』と返されたりもします。

みわ的には神様は喧嘩するものだし(しかも超つまらない理由でもするw)スーパーに心狭いしw 自分勝手なものだと思っています。
またそういう神様の方がより身近に感じられてますます愛せちゃったりなので、みわはそんなことくらいで神様たちを嫌いになったりは全然しませんw
それに神様が、優しく友好的で万人に常に愛を持っており喧嘩もしないんだったら、ヨモツヒラサカの件は無いわけで、大国主様もガチで殺されかかったりしないんじゃない? とも思っています。

ですから、お守り複数持ちは駄目! ……となるかというとそうでなく。笑
ただ持ってるだけなら別にいいんじゃね? 使用中なのが複数あるのが問題なダケで。とか考えてます。

一言でいうと「効果が分散したりうち消したりする可能性があるから願掛けは一つだけに」ということですネ。

どういう風になるかというと、たとえるならこんな感じです。

第三者に悩みを打ち明けて解決の手助けをしたもらいたい。と思った人がいます。
その人に対して友人のAさんは「絶対○○! だからそうしよう」といってそのように動こうとするが、別の友人のBさんは「△△かなぁ?」と考えてそのように動こうとする。
友人A・Bの考えが統一されて同じ方向に向かっているなら、味方は二倍で助けもより強力なものになるが、A・Bが違う結論を見ていてそれに向かって勝手に動いたら、お互いを打ち消して効果は半減どころか邪魔にしかならなくて、予測のできない最悪な結果にたどり着いた……というような?

また結論が一つしかなくともそこに至る選択肢は考える人によって無数にあり、それぞれに最適なタイミングがあり絶妙なバランスを保って成立しているというような事も往々にしてあることですから、やはりとるべき行動の指針は一本だけにしておいた方が無難ですね。

これのAさんを「A神社のお守り」Bさんを「B神社のお守り」と考えると、みわの言いたいことが分かってもらえるんじゃないでしょうか?

「……つまり願いは一つの神社でだけでって事ね? でももう遅いよ! 色々買ってお願いしちゃってるんだけど!?」という方もいるかもしれません、そういう方には「こういう時の産土様(氏神様)ですよ」といっちゃいますw ← こんな時ばっか

前にも書きましたが、産土様(氏神様)はあなたの事を生まれてからずっと見てくれている、親戚の人のような存在の神様ですから「こういう場合は周囲がこうだから……」ってどの神様よりも最適なやり方を選んでくれるはずです。

なので。

産土様(氏神様)には「コレコレこういう願いをA神様とB神様にお願いしていますが、それらが打ち消しあうことなく、いい方向に進みますように、私も努力するので産土様(氏神様)にもお手を貸していただけると嬉しいです」とお願いし。

A・B神様たちにも「A(B)神社でも同じことについて手助けを頼んでます。私の産土様(氏神様)がこの件に関しては一番詳しいと思うので、大神様たちのお力で後押しをどうぞお願いします! もちろん私もがんばりますから!」

……とかお願いすれば、逆作用でマイナス効果になって叶わなかった! てか酷くなった! ってのは避けられるかもしれません(多分 ←

宝石・タリズマン・パワーストーンは念の増幅器として使う場合は一つに絞るかバランスを考えて組まないと駄目ですけど、お願いをしないのであれば「アクセサリー」として成立しますよね? あれとお守りも同じようなものだと思って下さい。

そんな感じでお守りとして使うのは一つだけ。他はアクセサリーとしての利用に留めるといいと思います。それでも気分的にスッキリしなかったら前のお守りは「古札所」にお返しして、新しく願掛け用・アクセサリー用を買うとかすればいいんじゃないでしょうかね?

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2015/08/15 哲学る Comment(0)

神域で起きること

おむくじは手元に残るものだし、書いてある言葉は後から書き変え不能な訳で、神様とお話できた! とうっかり電波を受信してもしかたないと思うのですが ← みわ自身も含めw

色々な本でよく見る「神域で○△をみたら神様のお使いだから」とかそういうのは、なにがどうなってそうなるのか、零感の私にはまったくわかりません ← イヤ マジデ

神域のモノにむやみに触れない(病院で院内感染しないようにと同じ)とか、神域のモノは持って帰らない(泥棒です)なら分かるのですが。

別に外界と区切りのない(結界はあるんだろうけど)開けた場所で、蝶や虫や鳥が飛ぼうと、蛇やトカゲが出ようと不思議でもなんでもないし、そうそう特別な意味はないとみわは思います。

神社は小さいとこは別として『鎮守の森』があったりするので、木々があって水が流れてて土があって……どう考えても小動物たちのパラダイスじゃないですか?
みわが小動物なら「超すごしやすいw すげーwww」ってなるかと。

そんな場所に行ってるのに「小動物に会う=私へのお導きだ!」とか……うーん???

人間に残された自然の感覚として、些細なことから大事を察知するのは大切なことだと思うし、必要性もよくわかるのですが、それなら「いいもの」「わるいもの」両方あってしかるべきだと思うんですヨネ?

なんで基本いい感じ解釈なんだろう?
百歩譲って、みわが零感だから分からないだけってのでもいいけど、なんか違和感。

何でもかんでも悪い解釈をするのもどうかなと思うけど、何でもかんでもよい解釈なのもなんかバランスおかしくて不自然な気がします。

万が一、出るべきじゃないところでその動物に出会ったとしたら、良い悪いはおいといて「これは神様からのお告げ」って思う……いや、普通に環境変化の被害者と思うかなぁ、やっぱり。

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2015/08/05 哲学る Comment(0)

プロフィール
 
HN:
くなとみわ
性別:
女性
職業:
自称神様☆親衛隊
趣味:
八百万の神様たち
自己紹介:
八百万の大神様たちが大好きです。
神様は怖いけど怖くない存在で、近づきたいけど微妙にウザがられている気もする今日この頃デス。
kamilove@plala.to
 
 
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